雑司ヶ谷霊園は、豊島区南池袋四丁目の七割を占める面積約11万平方メートルの都営霊園で、江戸時代(安政4年/1857年)の絵図では、将軍の御座所として御用屋敷や御鷹部屋(お鷹狩りのための居留地)があった所です。この地域は東京市街地の郊外にあたり、明治のはじめに墓所を持たない東京を故郷とする市民(当時の東京府東京市)のために、共同墓地として造営されました。
もと雑司ヶ谷旭出町墓地を東京府が引き継ぎ、明治7(1874)年9月「雑司ヶ谷墓地」として現在の北側部分が開設され、同22(1889)年に東京市に移管、周辺農家を買収・拡張し同33年には現在のような広さになりました。昭和10年5月「雑司ヶ谷霊園」と改め現在に至っています。
※江戸時代中期の享保4(1719)年以降、徳川幕府の御鷹部屋がありました。
※東京市は明治21(1888)年〜昭和18(1943)年まで存在。
※霊園の西側にロッカー形式の収蔵施設「宗祖堂」と区立南池袋斎場が隣接。
雑司ヶ谷霊園にはケヤキが多く見られます。ケヤキの古木が列をなしている所は農家の屋敷林の跡で、防風林として植えられたものです。御鷹部屋跡に残る大きな松の木とともに江戸時代の面影を偲ぶことができます。また霊園南側は護国寺から鬼子母神へ通じる参詣道で“鬼子母神道”と呼ばれ当時のままの道筋が残っています。
最寄りの都電荒川線「雑司ヶ谷」駅に近い霊園入口横の交番前の道も“番神通り”と呼ばれる昔ながらの道筋の一つですが、詳細は資料がまとまり次第掲載予定です。
※掲載しております雑司ヶ谷霊園地図は、雑司が谷にお住まいの谷口良子さんが1997年に企画・作成された地図「雑司ヶ谷霊園に眠る著名人」をもとに作成しております。そこには多くの著名人の眠る位置が正確に記されていますので、それらの情報を反映させることも追々やっていきたいと考えています。