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「遥かなる根津山−戦前・戦中・戦後…根津山は何処へ−」
  絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します 更新日:09.11.26

タイトル:悲しみ

絵:夜空に敵機を探す探照灯
昭和20年4月13日の夜、B29爆撃機330機(「豊島区史」より/米側資料による)が、東京の西北部を目掛けて激しく焼夷弾の雨をふらせました。探照灯が夜空をかき回してB29を探し回っています。 根津山ガイド



絵:夜空に火を噴く敵機
夜空は大変な騒ぎでした。敵機に命中したらしく、一機が火を噴き、頭上を旋回し、わたし達は足がすくみました。やがて火達磨になって南の方へ落ちて、真っ黒いけむりが立ち上がりました。 根津山ガイド



絵:焼夷弾で燃え上がり真昼の明るさ
私の家のそばの旧高田第四小学校(後の日出小学校)から火の手が上がり、真昼のような明るさ。電気花火のように焼夷弾が飛び散らす火の雨。私と両親は雑司が谷墓地へ逃げました。 根津山ガイド



絵:焼け残った小学校の防火壁
朝になって白煙を潜り、我が家へたどりつく、どの家も柱一本残っていません。灰の積もった地獄絵の中に、小学校の防火壁だけが負け将軍のように呆然と立ちすくんでいました。左手には焼け残った根津山。 根津山ガイド



絵:空襲による豊島区内の家屋消失地域図
豊島区の75パーセントが灰になってしまったのです。豊島区が焼け爛れて泣いています。



絵:焼け跡でトタン板を探す
焼跡からトタン板をさがし、焼け棒くいを灰の中から引き出して、バラックを造る材料を探しました。数少ない建物疎開で壊した家の材木も、瞬く間になくなりました。 根津山ガイド



絵:防空壕やバラックの住い
半地下の防空壕の住まいと、バラックの家。
近所ではみんな同じような家だったので、不平を言う人もおりません。
緑が芽生えた「根津山」が慰めてくれていました。
根津山ガイド



同時代の参考年表

昭和20(1945)
 .02.19 空襲、池袋2丁目に被害
 .02.25 空襲、駒込1丁目に被害
 .03.04 空襲、駒込2〜6丁目、巣鴨2〜5丁目、西巣鴨3・4丁目に被害
 .03.09 空襲、巣鴨1・2丁目、西巣鴨2丁目、駒込4〜6丁目、雑司ヶ谷4丁目、日出町1〜3丁目に被害(〜10日/B29約334機による東京大空襲、豊島区をはじめ25区にわたる大規模な被害)
 .04.07 空襲、長崎3丁目に被害
 .04.12 空襲、日出町3丁目に被害
 .04.13 城北大空襲、椎名町1〜5丁目、長崎1・5丁目、要町1丁目、高田南町 1・2丁目、千早町1丁目、高田本町1丁目、目白3・4丁目、雑司ヶ谷町 1・7丁目、巣鴨署管内ほぼ全地域、池袋2〜4丁目の一部を残す池袋署 管内全地域(〜14日/B29約352機による東京西北部大空襲)
 .04.14 罹災により仮区役所を立教中学校内に開設
 .05.24 空襲、長崎第1国民学校付近に被害(〜25日/B29約562機による 大空襲、宮城(皇居)ほか区部の大部分焼失)
 .05.25 空襲、雑司ヶ谷3〜6丁目、椎名町1丁目、目白1・2丁目、日出町1丁目、池袋5丁目に被害
 .08.15 太平洋戦争終結(正午、天皇「終戦の詔勅」放送)



戦前(明治-昭和初期)戦中1戦中2/戦中3/戦後(昭和20-61)



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