![]() |
|
| 絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します | 更新日:09.11.26 |


| 太平洋戦争(大東亜戦争)が始まると、食糧事情も逼迫し、 「根津山」の笹原を開墾して野菜畑を作る人もでてきました。 |
![]() |

| その畑などに蒔く種を売る種屋さんもできました。 女の人が二人で商っていました。 |
![]() |

|
都電通りの行列は、戦地に向かう出征軍人を送る人々の列です。 「根津山」の道を通り「池袋駅」から、指定の連隊へ、そして戦地へ行くのです。 |
![]() |
| 悲しいことに、戦って戦死する人も出てきました。 少年団員が呼び出され、豊島区公会堂での合同慰霊祭へむかうのです。 |
![]() |
![]() その頃の公会堂は、現在の帝京平成大学の角にありました。 |
![]() |
| ※少年団員について 昭和7年(1932)に日本少年団連盟高田第四少年団が創立。イギリス式で制服があり自由参加。昭和15年頃に解散。昭和16年(1941)開戦と同時に大日本青少年団結成。ドイツ式で制服はなく、団旗は“双頭の鷲”。子どもはみんな強制参加。同じ頃、尋常小学校は国民学校となった。 |

|
アメリカとの戦争で、「根津山」に大きな防空壕ができました。小さい退避壕も掘られました。 小学生はみな集団疎開で、「根津山」で遊ぶ者もなく、寂しい山になってしまいました。 |
![]() |

| 同時代の参考年表
昭和16(1941).12.08 太平洋戦争(大東亜戦争)はじまる |
|
無断転載はご遠慮下さい。 |