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| 絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します | 更新日:09.11.27 |


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昭和12年に「根津山」の中央を割って、アスファルトの道ができました。 「改正通り」と呼ばれました。いまの「グリーン大通り」の前身です。 |
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| 枝道もできました。なかなか清々しい道でした。 | ![]() |

| 「改正通り」には高い電柱も設置されました。 街路灯はまだまだ灯りません。 |
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| 昭和14年に「市電」が開通しまた。 開通日に他の路線番号をつけた電車が続々やってきました。 |
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| その後路線ナンバーは17番となり、池袋駅前・数寄屋橋間を走りました。昭和44(1969)年廃止。 | ![]() |

| 「池袋駅前」から一つ目が「日ノ出町三丁目」、豊島岡女子学院前に電停がありました。 | ![]() |

| 開通から廃線になるまで、2回くらい花電車が夜やってきました。 大勢の人が見物にきました。 |
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| 空襲で焼けるまえの「池袋駅」です。木造でした。 当時は「貨物取扱駅」でもありましたから、機関車が汽笛を鳴らし、 方面別に貨車の入れ替えをやる音が一日中遠くまで鳴り響きました。 |
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| 「根津山」の北(現サンシャイン60の南)側に、 水窪川がどぶ川となって流れていました。 護国寺の裏を巻いて音羽通りから神田川へ流れ込んでいました。 |
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「根津山」の東側は草原と野球場でした。 日曜になると町のこどもチームの試合で賑わいました。 |


| 大都映画の撮影と、木下大サーカスがそれぞれ一回きました。 こどもたちは大喜びでした。 |
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| 日米戦争が始まる前までは、「根津山」は こどもたちのネバーランドでした。 |
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| 同時代の参考年表
昭和12(1937).05.29 巣鴨刑務所跡地に施設が完成、東京拘置所と改名 |
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池袋駅・護国寺間の市電、池袋駅から王子電車(現都電・東池袋駅)間の供用開始
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| 昭和13(1938).04.01 国家総動員法公布、同年05.05 施行 昭和13(1938).05.01 ガソリン配給統制実施 昭和13(1938).06.01 内務省防空課、敵機空襲の際は逃げずに家を守れと方針決定・通達 昭和14(1939).04.01 市電池袋線(池袋駅前・護国寺前)開通 昭和14(1939).04.13 池袋駅・護国寺間道路(市道)の、王子電車・護国寺間の供用開始 昭和14(1939).07.08 国民徴用令公布、同年07.15施行 昭和14(1939).10.01 米穀配給統制法施行(米穀取引所廃止、日本米穀会社設立) 昭和15(1940).10.12 大政翼賛会発会式 ※以後、国民生活のすべてにわたって統制 昭和15(1940).10.07 銃後強化奉公運動実施 昭和16(1941).03.07 国防保安法(通敵行為取締の法律)公布、同年05.10 施行 昭和16(1941).03.10 改正治安維持法公布(予防拘禁制を追加) 昭和16(1941).04.01 小学校を国民学校と改称 昭和16(1941).05.08 牛込高等女学校、日出町3丁目(根津山の小さな丘辺り)に移転申請 (昭和17.02.06認可、現豊島岡女子学園) 昭和16(1941).05.15 予防拘禁所設置 |
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