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「遥かなる根津山−戦前・戦中・戦後…根津山は何処へ−」
  絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します 更新日:09.11.26

タイトル:悲しみ
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池袋駅から東へ約500メートル、豊島岡女子学院あたりに、麓から10メートルほどの小山がありました。 根津山ガイド



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江戸時代は「中西の森」ともいわれていましたが、
明治末頃から、この土地を買収した根津嘉一郎の名から「根津山」とよばれるようになりました。
根津山ガイド



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一面に笹が生い茂っていて、小さい子供には、ちょっと怖いところでもありました。 根津山ガイド



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「根津山」と「本立寺」との境の道は、
お墓の隣で人通りも少なく、怖いような道でした。
根津山ガイド



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山番の家といわれた家がありました。木の枝をやたら折ると、だれかが「山番がきたぞー」とさけんで、みんな一目散に逃げたものです。 根津山ガイド


三木露風(1889〜1964)も住んだ根津山

兵庫県生まれの詩人。早稲田大学に学ぶ。明治42(1909)年2月、無届欠席と学費未納で大学を除名になった露風は、目白高田村雑司ヶ谷の根津嘉一郎別邸の一戸(根津山)に転居する。
この邸内の風景が廃園のイメージとなり、同年9月、第一歌集『廃園』を刊行。「明治詩壇にはじめて見るを得た新しい抒情詩」と評され、詩人としての地歩を確実なものとした。そして、同年3月に『邪宗門』を刊行していた北原白秋と並び称され、明治末期から大正にかけて「白露時代」を築いた。

※露風の作詞として有名な童謡『赤とんぼ』は、大正10年8月に「樫の実」に発表され、昭和2年に山田耕作が曲をつけたもの。鈴木三重吉に誘われ、大正7年創刊の児童文学雑誌「赤い鳥」2号から童謡を書いたことがきっかけとなっている。

「群像 豊島の文化人-豊島区ゆかりの文化人とその小伝-」より




同時代までの参考年表

明治06(1873).01.10 徴兵令発布
明治06(1873).06.07 市中で牛乳等搾取のため牧畜許可
明治08(1875).12.27 雑司ヶ谷(根津山とその周辺)で陸軍兵演習、天皇が観閲
明治18(1885).03.01 日本鉄道会社線、品川・赤羽間 開通。池袋は信号所として置かれた
明治22(1889).01.22 徴兵令改正公布、国民皆兵主義を実現
明治22(1889).02.11 大日本帝国憲法発布(明治23.11.29施行)
明治23(1890).10.30 教育に関する勅語発布
明治28(1895).10.27 北豊島郡巣鴨村に石川島徒場新築移転、警視庁監獄巣鴨支署となる
明治36(1903).04.01 日本鉄道豊島線、田端・池袋間 開通
明治38(1905).11.01 豊島線、国鉄に買収される
明治42(1909).12.16 豊島線は山手線として複線工事終了、電車運転開始(山手線電化)

大正03(1914).05.01 東上鉄道、池袋・田面沢(現東武東上線川越市駅付近)間 開通
大正03(1914).07.28 第1次世界大戦おきる。同年08.23日本参戦
大正04(1915).04.15 武蔵野鉄道(現西武池袋線)、池袋・飯能間 開通
大正12(1923).09.01 関東大震災

昭和06(1931).09.18 満州事変はじまる
昭和07(1932).03.01 満州国建国宣言、同年09.15日本政府承認
昭和07(1932).10.01 豊島区誕生(西巣鴨町・高田町・長崎町・巣鴨町の地域から成る)
昭和07(1932) .---.--- 根津山を縦断して水久保(日出町)に通ずる道路ができる
昭和09(1934).05.01 東武東上線、池袋・下板橋間に東武堀之内駅設置
昭和09(1934).09.18 区会、西巣鴨第8小学校用地調査委員・根津山聖跡保存調査会を設置
昭和11(1936).02.26 2.26事件(陸軍青年将校挙兵、国家改造を要求)



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