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| 絵:矢島勝昭 ※著作権は作者に帰属します | 更新日:08.11.13 |


| 晴れた日は、湿っぽい防空壕を出て過ごす。 "防空壕暮らし(壕舎生活)" と "バラック暮らし" は当時半々くらい。3年くらいは防空壕暮らしが残っていた。バラックから建替えるようになるのも、戦後3〜4年たった頃からだった。 |
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| バラック暮らしと比べれば、土蔵暮らしはお城のよう。 | |
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| 焼跡に仮小屋を建てるにもトタン板1枚の配給もない。焼け跡から使えるものを探し出してバラックを建てる。敗戦後、政府は簡易住宅30万戸建設を決定するが年内の実現は1割。 |

| 下から「早く穴からでたい!」「うらやましいな!」「ほら、都営住宅だよ!」 終戦の翌年、高田第四国民学校(後の日出小学校)の焼跡に40戸の応急簡易都営住宅が建った。6畳2間程度の広さにトイレと炊事場が付いていて、防空壕やバラックに住む者には御殿のように見えた。 |

| 臨時建築制限規則による許可(及び資材割当)申請書 罹災焼失後ブリキ張リバラック二住居シ居リシモ使用二堪ヘナクナッタ為二併築セントスルモノナリ |
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