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4・13 根津山小さな追悼会タイトル
更新日:18.2.19 

忘れてはいけない事実。
私たちが、いま在ることと無縁ではありません。

豊島区空襲犠牲者追悼と平和への祈りの集いは
毎年4月13日午後2時から南池袋公園内で開催しております。

今年も皆さまのご参加をお待ち申し上げます。

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平成31年4月13日根津山小さな追悼会ご案内.PDF

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▼平成28(2016)年第22回追悼会風景

平成28年度の追悼会風景

平成28年度の追悼会風景

平成28年度の追悼会風景

平成28年度の追悼会風景

平成28年度の追悼会風景 平成28年度の追悼会風景
平成28年度の追悼会風景 平成28年度の追悼会風景

▲平成28(2016)年第22回追悼会風景



体験談やアンケートへのご協力、ありがとうございました。
追悼会証言集第3集は2018年に刊行いたしました。

証言集はご寄付金をいただいた方に配布しております。
ご寄付いただける方は、追悼会当日、あるいは事務局までお声掛けください。
引き続き皆さまのお力添えをよろしくお願い申し上げます。

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4・13根津山小さな追悼会
-被災証言集 第3集-

2018年3月25日 発行
4.13根津山小さな追悼会実行委員会 編集発行

B5版・132ページ・本文モノクロ
無線綴じ・500部

※第3集は発行費実費として
1500円以上のご寄付をお願いしております。


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4・13根津山小さな追悼会
-被災証言集 第2集-

2014年3月25日 発行(20周年記念)
4.13根津山小さな追悼会実行委員会 編集発行

B5版・114ページ・本文モノクロ
無線綴じ・1000部

※第2集は発行費実費として
1000円以上のご寄付をお願いしております。


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4・13根津山小さな追悼会のご案内 
追悼会立ち上げの経緯について
矢島勝昭『追悼会立ち上げのルーツ』
豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
追悼会のあゆみ(平成7年~現在)
十周年記念文集(平成18年4月13日発行)
リンクについて(追悼会バナー)

関連リンク
戦争と平和」から
城北大空襲の小さな記憶
灰の中からの脱出-城北大空襲後の暮らし-
遥かなる根津-戦前・戦中・戦後…根津山は何処へ-
創作絵本「ひさちゃんの宝物」



4・13根津山小さな追悼会のご案内

実行委員会代表 小田 光野

 「4・13根津山小さな追悼会」は、昭和20年4月13日城北大空襲被災50周年を期して、平成8年に発足いたしました。当時、区の人口の70%約16万人が被災し778名の尊い人命が失われ、この被災当時根津山と呼ばれた今の南池袋公園にも沢山のご遺体がトラックで運ばれ埋葬されました。
 名も知れず葬られた人々の惨憺たる心情を思い、二度と戦禍に町を晒たくないという鎮魂と平和への願いをこめて、毎年4月13日午後2時からの一時間、南池袋公園「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」前で、心ある人々が寄り合い、ささやかに小さな追悼会を続けてきました。

 「4・13根津山小さな追悼会」の式次第は、・開会のことば・ごあいさつ・黙祷・鎮魂のことば・朗読(ききみみずくの会)・献花・斉唱・閉会のことば、という流れで、戦争の体験・随筆などの朗読を中心に行われています。

 会場の設営・資材の提供などは、地元町会の方々にお世話になっており、この縁の下の力持ち的地元の協力、豊島区と豊島区町会連合会の後援をいただいてこの会は続けてこられました。また、平成18年には十周年記念文集を発行し、多くの方の被災体験を形にすることができました。その後の記念文集へのご協力と共に心より感謝致しております。

 今後も4月13日に「小さな追悼会」を続けて参ります。 平和を祈るこの小さな会に、是非お越しくださいますようお願い申し上げます。


2005年の追悼会/朗読風景

工事中のため南池袋公園北側で開催致します。
同公園内北側には「空襲犠牲者哀悼の碑」が仮移設されています。

      • 場所:豊島区南池袋公園内北側『空襲犠牲者哀悼碑』前(南池袋2-21)
      • 日時:毎年4月13日午後2時から3時まで
      • 主催:「4・13根津山小さな追悼会」実行委員会
      • 後援:豊島区・豊島区町会連合会



追悼会立ち上げの経緯について(十周年記念文集『十周年に寄せて』から)

名誉顧問 前島 郁子

 「小さな追悼会」が4月13日に行われるようになったのは、タウン誌「わがまち雑司が谷」の座談会(1994年9月発行)で、イラストレーターの矢島さんが「今の南池袋公園の辺りに昭和20年4月に空襲で亡くなられた方々が埋葬されています。供養されていないと思う」と発言されたことから始りました。
 1945(昭和20)年4月といえば、住民はその日の食物を得、戦禍から身を守るのがやっとの時代でした。空襲で亡くなられた方々の御遺体は、行政も住民も穴を掘って埋めるのが精一杯だったと思います。
 「4・13根津山小さな追悼会」は、雑司が谷一丁目町会長柳作治氏、イラストレーター矢島勝昭氏、区会議員副島健氏、高田中央町会長江原延一氏、南池袋二三四町会広瀬あきら氏、小田光野氏、他二三四町会の皆様方の努力によって平成7年に開催のはこびとなりました。
 後に追悼の碑が出来ましたが、当時は字の上手な方に「根津山小さな追悼会」の看板を大書していただきました。碑もないので柳さんとそのお隣の工藤義則さんにもお手伝い頂いて追悼碑らしきものを作りました。家から折りたたみの小机を持ち出して白布をかけ、白菊やお線香を置きました。『小さな』と名づけましたのは、たとえ二人でも三人でも集まって追悼会が出来ればとの心からでした。
 ところが当日になってみると、多数の方の御出席がありました。区よりも区長式辞、助役・区議の方々の出席がありました。
 小さな追悼会では豊島区にお願いをし、間もなくこれに答えて碑が建立されました。除幕式が行われましたのは平成7年8月11日蝉しぐれの中でした。
 根津山とよばれたこの地に碑が立てられたことは感慨深く、厳粛な気持ちでした。碑が出来たとて、それが目的ではありません。碑は戦禍の犠牲となられた方々の慰霊と、再びこの様な痛ましい戦がおきないよう平和を願う証なのであります。
 追悼会の内容は大体変わっておりません、中でも鎮魂のことばは佛教からお経、キリスト教からはお祈りで私共の深く熱い思いがこめられております。
 出発時から多くの方の御賛同と御協力を頂きましたこの会は、年々参会者が増えました。陽春四月、散り残った桜の花びらがヒラヒラと舞う中で毎年開催されますことを感謝いたしております。

(平成18年4月発行 十周年記念文集より)

恒久の平和を願って
-豊島区空襲犠牲者哀悼の碑-

昭和20年4月13日深夜から翌14日未明にかけて東京西北部一帯を襲った空襲は、豊島区の大半を焦土と化し、甚大な被害と深い悲しみをもたらしました。
死者778人、負傷者2,523人、焼失家屋34,000戸にのぼる被害により罹災者の数は161,661人と、実に当時の人口の約7割に及びました。
この空襲によって無念のうちに尊い命を失った数多くの犠牲者が、当時「根津山」と呼ばれた、ここ南池袋公園の一角において埋葬されました。
先の戦争を通じて空襲の犠牲者となった豊島区民の冥福を祈るとともに、この悲惨な事実を永く後世に伝え、二度と再び戦争による悲劇を繰り返さぬように、この碑を建立します。

  平成7年8月  豊島区

(南池袋公園『豊島区空襲犠牲者哀悼の碑』より)



追悼会立ち上げの経緯について 『追悼会立ち上げのルーツ』

名誉顧問 矢島 勝昭 

 池袋駅東口グリーン大通りを挟んで、3万5千坪(11万5千平方メートル)ほどの雑木林、根津山がありました。旗本三千石中西公の下屋敷として三代将軍家光公からの拝領とされています。昭和20年代初めまでは武蔵野の風情を保った静かな林で、「夕焼小焼」の詩人三木露風が一時期くらし、第一詩集「廃園」が生まれた地でもあります。露風20才のときでした。
 第二次世界大戦終戦の四か月前、昭和20年4月13日夜から翌日にかけたB29三百数十機による城北大空襲では、多くの豊島区民が炎を逃れて根津山に避難しました。この空襲での区民の死者は778名といわれ、多くの焼死体が根津山の西に位置する「雑司が谷公園(現南池袋公園)予定地」の周辺に仮埋葬されました。
 タウン誌「わがまち雑司が谷」(平成6年9月1日号)「少年時代の故郷・高田町」の座談会で『遺体を兵隊と区の土木担当者が地上に並べ、引取りに来ない遺体はそのまま埋めた』という元区職員の話と、その際提示された昭和63年8月18日付「朝日新聞」の『昭和49年の南池袋公園改修工事の際(略)かなりの数にのぼるとみられる白骨が土の中から姿をのぞかせていたが、工事を急ぐあまり塩でお清めをしてそのまま埋め戻したと、当時の工事関係者は証言する』との記事とをあわせ、座談会司会者から「当時としては遺体処理が精一杯で、身元の確認までは出来なかったでしょうね。お慰めしたいですね」との発言があり、それでは……ということで出席者有志を軸に追悼会実行委員会が立ち上がったのであります。
 活動を始めた委員会は、地元区議会議員、第四地区区政連絡会、根津山近辺の町内会などの賛同を得て区へ陳情、結果区の後援も頂いて、平成7年4月13日満開の桜の花びらが舞い散る中、第一回「根津山小さな追悼会」が執り行われたのであります。
これを機に委員会では、さらに「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」建立を区に願い出て、同年8月11日、そよぐ葉桜と蝉しぐれの中、区主催による哀悼の碑除幕式が行われ、委員会初期の目標はほぼ達成されたのでした。以後新たな委員を加え、四月十三日の追悼会を年次事業として続けているところであります。
 委員会で草案した碑文・デザインからなる「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」は、南池袋公園正面向かって右に在って、今も平和への願いと犠牲者の鎮魂を、来園者に訴えつづけております。

(平成18年4月発行 十周年記念文集より)



追悼会のあゆみ

平成7年(初回追悼会、終戦50年)から現在までの記録。
追悼会当日の式次第、会場の様子、掲載記事等を掲載しています。

※第14回以降、会場の様子や掲載記事等は追って掲載します。
第20回/平成26年度*/追悼会が発足して第1回目の追悼会開催は平成8年、平成26年度で第19回となりますが、「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」建立のきっかけとなりました初回開催の平成7(1995)年から数えますと20周年を迎えます。平成26年度より初回より数えての開催数と致します。

―これまでの追悼会―
初回/平成07年度 第01回/平成08年度 第02回/平成09年度 第03回/平成10年度
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第04 回/平成11年度 第05回/平成12年度 第06回/平成13年度 第07回/平成14年度
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第08回/平成15年度 第09回/平成16年度 第10回/平成17年度 第11回/平成18年度
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第12回/平成19年度 第13回/平成20年度 第14回/平成21年度 第15回/平成22年度
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第16回/平成23年度 第17回/平成24年度 第18回/平成25年度 第20回/平成26年度*
第19回/平成25年度
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第21回/平成27年度 第22回/平成28年度 第23回/平成29年度 第24回/平成30年度
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〈2011年「4・13根津山小さな追悼会」が一部動画配信されています〉
「城北(豊島区)大空襲1945/4/11から66年」取材・動画配信:池袋テレビ


十周年記念文集

2006年4月13日 発行/B5版・80ページ・無線綴じ・500部

 戦後60年の節目の年、「小さな追悼会」でも十年の活動の総括として城北大空襲をはじめ戦争体験の記録を寄稿をいただき、第11回追悼会当日付で発行。

※十周年記念文集は好評につき在庫がなくなりました。掲載された体験記は、順次ホームページでご覧いただけるようにしています。

※今後も『戦争体験』を受付けております。当時のお話や体験記、絵や写真、資料をお待ちしています。

「十周年記念文集」の表紙

リンクについて

 応援してくださる方はご自由にリンクしてください。バナーもご利用自由です。
 また、相互リンクをご希望の方はぜひご連絡ください。
バナーのリンク先は以下にお願いします。
http://www.com-support.co.jp/nezuyama-tsuito/index.html


城北大空襲
1945(昭和20)年4月13日、豊島区は大規模な空襲に見舞われました。区の消失面積70%、被災3万4千世帯(16万人以上)、死者778人を出す大きな空襲でした。多くの被災者が空襲を逃れて“根津山”と呼ばれた豊かな森に身を寄せました。そして、その一角(現・南池袋公園)には空襲で亡くなった方々が運ばれて山となり、多くが埋葬されました。

根津山(ねづやま)
この辺り一帯の旧称。被災当時、南池袋公園を含む周辺一帯にあった豊かな雑木林で避難場所になっていました。文京区との区境あたりから見ると鬱蒼とした森のように見えたそうです。現在の公園にあたる場所には、空襲による犠牲者が数多く集められ仮埋葬されました。今でも仮埋葬のままになっている被災者が存在しています(朝日新聞昭和63年8月18日小さな戦跡からの報告「繁栄知らず土の中ー池袋 根津山の白骨」をご参照ください)。
→かつての根津山の姿が絵地図『駅の東に森があった』(原画製作:矢島勝昭)でご覧になれます。


「4・13 根津山小さな追悼会」にお力をお貸しください。

皆さんとともに心に響くよい会にしていきたいと思っています。
追悼会へのご参加、ご協力、率直なご意見ご要望をお待ちしています。
【事務局】03-3971-4771 小田光野



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